今年の総括2020
さて毎年恒例の「今年の総括」
今年はあれこれ書きたいことがあるので、いっそ「総括ページ」をつくってこんご、
毎年を見比べるのもおもしろいと思ったわけ。
で、これが「総括」連載の第一回目(かもしれない)。
いくつかの項目にわけて、それぞれ詳述していきたいと思いまする。
<コロナ禍>
まず、全世界的に外して語れないですね。
world new orderといおうか
new etiquetteといおうかnew dress codeといおうか。
鎖国にはなるし、電車にのれば、みんなマスクしてスマホの画面に吸い寄せられている。
まるで電脳か、わずか数年前のひとがタイムワープしてきたら
ホラー映画にまぎれこんだと思うのでは。
気にするひともいれば、しない人もいる。
春先に計画していた旅行について、
「わたしは参加を見合わせます」
と連絡メールで伝えたところ
(あんまお金つかいたくない時期だったのでコロナは渡りに船だった)
こちらを名指しではないが
「わたしは行きます!こういう時だもの、せめてお金を落とさないとね!」
と暗に及び腰のわたしを非難してんの?と思える連絡をしてきた鼻息荒かった方々が
「もし自分が気づかず感染した場合、広げないように」
外出を控える考えが示されたとたん
「わたしたちが旅行に行って、平和な田舎を感染させたらいけませんものね!」
とすっかりすましている。
その後も、能天気にでかける世間のひとびとを糾弾する内容のメールの数々にこわ~、と思ったね。
なんというか、これまで大人だと思っていた…思慮深いと思っていた人々が
ちょっとヒステリックになったり、ナントカ警察的になってるのをみて
残念だなあと内心思うこともあった。
食べ物その他の思わぬ恩恵もあった。
3月末ごろから、飲食店を応援する気持ちでせっせとテイクアウトをしていたが
4月あたりから、「困っている生産者、販売者を助けよう」という
FBのグループに参加して、おおいに買った買った、牛豚鶏ホタルイカ、
肉加工品、コーヒー、チョコレート、ハーブティー、北陸料亭の商品、米、沖縄食品、ストールなどなど…
正直、「通販に慣れてないとこのような対応なのか」という素人対応も新鮮なオドロキ。
しかし、この機会でなければ知ることのなかった、買えなかった商品をお手頃価格で買えたのも多く、しかも「助けている」という甘美な褒賞つき。
仕事も、ある程度の影響はあったものの
むしろ、コロナ感染を避けるための交代勤務になったことで
ストレス源であった同僚と顔あわせる機会が週一になったことで、すっごく楽になった。
それにしても、いつまでこのヒステリーが続くのだろうか。
<男関係>
男関係は、今年は活発ではなかったなあ。
家の外での相手は、ひとりだけ。
でも家でのセックスが充実してるし、自慰もたのしいし、興味がいまほかにあるのでまあいいか、という感じ。
一年とすこしつきあったひとと、昨年ほころびつつも仲直りしたのに、
今年にはいって会わぬまま喧嘩わかれした。
むこうからしたら、わたしが勝手にキレた印象だろうけれど
わたしからしたら、女心をわかってくれなかった。
まあ、端的にいえば、わたしの貪欲にかれがついてこれなかったというところか。
わたしの激しさについてくるには、やわだったらしい。
へんに男女平等で、馬鹿正直なくらい、言葉どおりに受け取るひとだったから。
いまごろ、ほっとしてるでしょうさ。
わたしはといえば、素晴らしいひとだと思っていたので
この一年をかけて、傷口を癒してる感じやね。
でも、ぶちぶちいいながらも地道だけど大切な活動を続けているのは、いまでも尊敬している。
<読書・書き物>
読書と書き物は地続きなので1トピックで。
今年は、わたしにとって大激震の年だった。
深沢七郎と出会ったからだ。
くわしくは、noteの日記に書いた。
いまでも「しんしっつぁん」の本を図書館で借りては、おもしろく読んでいる。
これまでのいろいろで、表現で感じることで
自分が感じてきたことは「これでよかったんだ」「やっぱり自分で正直でいいんだ」というのが腑に落ちた一年だった。
書き物については、ずいぶん進歩した一年だったと思う。
昨年からいろいろなネット媒体に無防備に傍若無人に書きなぐってきた。
それまでは長いこと、ほんとうに長いこと母親の呪縛があり
「どこかで母親に見られているのではないか」
と硬直して書けなかったことを、書けるようになってきた。
「努力しないで成功するのがイカしてる」
と思い込んで日々無視していた文章表現へ思いをいたすこと、
親から「執着するのが悪い」と言われて避けていた
しつこくいろんなことを考えることにしたら、これがたのしい。
また、あちこちのサイトで書くことにより、それぞれの特徴やら
どこでどういうことがウケるのか、というのがじんわりわかってきた気がする。
なかでも、「Quora」との出会いは大きかった。
もう、なにがきっかけだったのか忘れてしまったけれど
今年の初めから参加して、
多くの知識経験豊富なひとの話をおもしろ興味深く学んだ
自分の経験談意見を受け入れられることも知った
英語版の興味深い話を翻訳して紹介し、翻訳の経験も積めた
紹介したことを多くのひとに評価してもらえた。
誰かも言ってたけど、承認欲求あってなにが悪い?だ。
<生きづらさ軽減>
もう長いこと、長いこと生きづらかった。
たのしいことも、あるんだけれどもじぶんの激情を持て余しもして
それにそれに、生きているとこれまでの「恥ずかしい」と思うことが多々積み重なり
「ぎゃああああ~!」「ぐぉおおお~!」
と叫びたいことが増えてくる。
それが、「しんしっつあん」を知ってからは
「ああ、自分の感性に正直でよいのだ」
「ああ、真面目なマトモなひとの振りしながらヘンなひとの自分でいいのだ」
「これまで頭がいいふりして頑張ってたけどそう頭がいいわけでないことを自分でわかっていたので背伸びしすぎてたのがしんどかったのさ、自分が足りねー、ってことを認めたらラクになるのだ」
と得心がいってね。
しんしっつあん、ありがとう。
<わたしのしごと>
コロナ禍で若干のゆらぎはあったものの、現在勤めている職場では、屋台骨が揺らぐほどの動揺はなかった。
さきに書いたように、むしろ一緒にいたらイラっとする同僚と同席する機会がへって有り難い。
これまでの経験を生かせて評価してもらえる職場は有り難いし、
ヒマな時間にQuoraの翻訳をしていることで、急な翻訳にも対応できる能力が培われていると自己満足。
基本ぶらぶらさせてもらってありがたい、なにかあればキリッと対応できるのでそこを評価してもらっていると思っている。
<家族関係>
家族関係は、おおむね良好だった。
下の娘が今春大学を卒業して就職、5月には家をでて一人暮らしをはじめた。
家を出てすぐはホームシックにかかってシクシク泣いていたけれど、大丈夫になってきた模様でひと安心。
わたしを批判するくせに頼っている彼女との生活がしんどかったんだなとは
彼女が出て行って平和を感じてから思い知った。
上の娘とは、6月あたりにちょっとわたしが怒ってしまって2か月くらい音信不通にしていたけれど、仲直りしてからはなごやかに。
小学生になってからボルダリングに連れて行っている孫1のために
先日、小学校低学年むけのスクールに連れていき
先週末は、孫1と2を連れていったらふたりとも気に入り
「次回も行く!」
とご機嫌なのでよかったよかった。
孫たちには、「ちょっとヘンなおもろいおばあちゃん」の立ち位置でいきたいと思う。
そんなこんなで、今年も大なり小なりいろいろがあり
そして、たのしかったです。